日本中では目まぐるしく、日々いろんなイベントがひらかれている。「そんな日本には、どのような土地があるのだろう」と、写真家として活動している私(仁科勝介)は、“平成の大合併”時に残っていた、旧市町村をすべて巡る旅に出た。その数は2000を超える。
今回、地域や自治体、企業の取り組み、新商品などの情報を発信するニュースサイト「ストレートプレス」で、それらを紹介する機会をいただいたので、写真を添えて連載をスタートした。
「ストレートプレス」内に登場するローカルな市町村と、関係があるかもしれない。
今回は、群馬県旧吾妻町(東吾妻町)を写真とともに紹介する。
Vol.71/群馬県旧吾妻町(東吾妻町)
岩櫃城跡に向かっている途中、市街地で一本の木が目に止まった。太い幹も徐々に年を重ねたのか、支柱で支えられていて、この木が道の中央にあるので、道路が分割されていた。この木は道路ができる前、更には舗装される前からあったのではないだろうか。
知り合いの方が旧吾妻町出身だったので、木について尋ねてみると「あそこにある木だね」と仰った。何気ない存在だとしても、地元の方々からすれば、きっとイメージの中に刻まれている。
岩櫃城は山の地形を活かした、巨大な山城である。武将・真田昌幸は、岩櫃城にて主君である武田勝頼を徳川・織田軍の軍勢から守り抜くと進言したが、実際は叶わなかった。もしそうなっていれば、歴史は大きく変わっていたという。もちろん、「もし」がないからこそ、今の世の中はあるのだが。ただ、分岐点がここにあったことは、面白い。そして、城跡の起伏激しい小道を歩くと、城という名のラビリンスであった。森であり、ひとりで歩くには正直怖い。ようやく本丸址と書かれた場所に着いたとき、達成感と安堵が入り混じった気持ちだった。
次回は、群馬県旧六合村(中之条町)を写真とともに紹介予定。
(仁科勝介)
仁科勝介(Katsusuke Nishina にしなかつすけ)/かつお
写真家として活動。1996年、岡山県倉敷市生まれ。広島大学在学中に、日本の全1741の市町村を巡る。
『ふるさとの手帖』(KADOKAWA)、『環遊日本摩托車日記(翻訳|邱香凝氏)』(日出出版)をはじめ、2022年には『どこで暮らしても』(自費出版)を刊行。
旧市町村一周の旅『ふるさとの手帖』:https://katsuo247.jp
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