日本中では目まぐるしく、日々いろんなイベントがひらかれている。「そんな日本には、どのような土地があるのだろう」と、写真家として活動している私(仁科勝介)は、“平成の大合併”時に残っていた、旧市町村をすべて巡る旅に出た。その数は2000を超える。
今回、地域や自治体、企業の取り組み、新商品などの情報を発信するニュースサイト「ストレートプレス」で、それらを紹介する機会をいただいたので、写真を添えて連載をスタートした。
「ストレートプレス」内に登場するローカルな市町村と、関係があるかもしれない。
今回は、栃木県旧足尾町(日光市)を写真とともに紹介する。
Vol.109/栃木県旧足尾町(日光市)
奥日光を下って、西へ進んで30キロ。群馬県との県境近くまで進んだところに、旧足尾町はある。足尾銅山として栄えた歴史、そして公害が発生した歴史は、学校の教科書でも習うことだ。その、実際のフィールドワークという感じがした。
市街地を訪れてみると、渡良瀬川沿いに、こぢんまりとしたまちなみが広がっている。自分が想像していたよりも、まちは静かで穏やかだった。今まで、名前を聞く機会が多かった分、想像の中でのまちが大きくなっていたのかもしれない。
橋から見下ろすと渡良瀬川も清流で、その渡良瀬橋で写真を撮った。私はこのとき、「あの渡良瀬橋だ!」と、森高千里さんの曲を口ずさみながら写真を撮ったわけだったが、実は勘違いで、歌詞に登場する渡良瀬橋は、ここから足利市まで下流に流れたところにある「渡良瀬橋」なのだった。今思えば、確かに旧足尾町の渡良瀬橋からは、肝心の夕日が山に囲まれてうまく見えなかったかもしれない。
足尾銅山の観光施設にも訪れた。「12時にトロッコが出発します」とのことで、10分ほど待って乗車する。坑道までトロッコに乗って移動するそうでびっくりした。私のほかには中年の男性と、若いカップルも乗車する。トロッコで坑道へ着いた後は、歩いての探索だ。ルートの表示がなくて、どっちに進めば良いか最初迷いそうになったけれど、脇道があって、灯りも続いているので、どうやらこっちのようだ。
看板に書かれた文字も読みつつ、近代化と公害について、それぞれの立場の視点から考えさせられた。石見銀山や筑豊炭田、佐渡金山など、鉱山がもたらした繁栄は大きい。その繁栄はやがて歴史となり、今の世の中が存在している。足尾銅山はその繁栄と同時に環境破壊ももたらしてしまったわけだが、その功罪を私が無責任に述べることはできない。とにかくその土地で汗水を流した、ひとりひとりの人間がいることを想像力として忘れてはならない、と坑道で働いているリアルな人形を眺めて思った。
(仁科勝介)
仁科勝介(Katsusuke Nishina にしなかつすけ)/かつお
写真家として活動。1996年、岡山県倉敷市生まれ。広島大学在学中に、日本の全1741の市町村を巡る。
『ふるさとの手帖』(KADOKAWA)、『環遊日本摩托車日記(翻訳|邱香凝氏)』(日出出版)をはじめ、2022年には『どこで暮らしても』(自費出版)を刊行。
旧市町村一周の旅『ふるさとの手帖』:https://katsuo247.jp
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