1922年7月9日(日)午前7時に、森鴎外氏は60歳で生涯を閉じた。
文京区立森鴎外記念館は、親友の賀古鶴所(かこつるど)氏に託された同氏の遺書、死の間際まで医者や薬を避け続けた同氏の信条を裏付ける資料、同氏に哀悼の意を表した文学者の寄せ書き資料などを、7月9日の「鴎外忌」のある7月1日(金)~31日(日)の期間に展示する。
没100記念オリジナルシールをプレゼント
「鴎外忌」である7月9日(土)は、9時~20時(最終入館は19時30分)の延長開館が行われる。当日来館した人には、没100記念オリジナルシールがプレゼントされる。
森鴎外氏の没後100年
文豪・森鴎外氏は、2022年に没後100年を迎える。同氏は生前3通の遺言書を遺しており、最後の遺言状は同氏が亡くなる7月9日の3日前の7月6日に、同氏が唯一無二の親友として信頼していた、賀古鶴所氏の筆記によって作成された。
「死ハ一切ヲ打チ切ル重大事件ナリ~余ハ石見人森林太郎トシテ死セント欲ス~墓ハ森林太郎墓ノ外(ホカ)一字モホル可(ベ)カラズ」という、森鴎外氏のある覚悟が記された、「森鴎外氏の最後の作品」とも言える遺言だ。
哀悼寄書
7月9日~11日まで、鷗外氏の通夜が居宅・観潮楼で行われた。11日の通夜には、賀古鶴所氏、永井荷風氏、与謝野寛氏、連名の通知状により、多くの文学者が出席した。
「哀悼寄書」は、1922年7月11日(火)の夜に書かれたもの。右上の漢詩は、森鴎外氏が日清戦争時に友人の市村瓚次郎氏に宛てたもので、萩野由之氏と市村氏が書き写し、黒木安雄氏が由来を記している。
森鴎外筆氏 賀古鶴所氏宛書簡を展示
その他、今年は「鴎外筆 賀古鶴所宛書簡 1922(大正11)年5月26日付」が展示されている。
書簡には、体調を崩していた森鴎外氏が医者の診察を拒む理由が伝えられている。病状を知れば平静ではいられないことや、静養のために職を辞して考証『元号考』の執筆をやめても、延命できるかは不明であると記されているという。
ブックフェアおよびスタンプラリー開催中
7月31日(日)まで、都内17カ所の書店で「森鴎外関連書籍ブックフェアおよびスタンプラリー」を開催中だ。
最大100冊の森鴎外氏に関する書籍が揃っており、3店舗巡るとオリジナルバッグがプレゼントされる。詳細は、同館HPで確認を。
この機会に、文京区立森鴎外記念館へ足を運んでみては。
文京区立森鴎外記念館:https://moriogai-kinenkan.jp/