大阪府高槻市の高槻市立しろあと歴史館では、新発見された松永久秀の書状を、常設展示「芥川城と三好一族」で公開している。また、梅雨入りを前に色とりどりのアジサイが花を咲かせている。詳しい情報をみていこう!
松永久秀の書状を公開
戦国武将・三好長慶の家臣で高槻市内の東五百住の出身と考えられている松永久秀の書状が発見され、調査の結果、これまで知られていなかった新発見の史料であることが分かった。
高槻市立しろあと歴史館では、6月15日(土)から新たに開設した三好長慶の居城で国指定史跡の芥川城と三好氏について紹介する常設展示「芥川城と三好一族」で、この書状の実物を6月15日(土)~7月15日(月・祝)の期間展示している。なお、展示期間以降は、複製品の展示となる。
■東京の個人宅で発見された松永久秀の書状
今回発見された書状は、東京の個人宅で見つかったもので、現在は高槻市立しろあと歴史館に寄託されている。
調査の結果、三好長慶が芥川城主となる直前に出された新出史料であることが分かった。
書状は、三好長慶の重臣である松永久秀が1553年7月30日、長慶に味方をする室町幕府の幕臣・伊勢貞助らに宛てたものだ。
書状が送られる前年、対立関係にあった三好長慶と室町幕府将軍・足利義輝は和睦していた。しかし、この書状が出される直前、義輝は長慶と敵対する細川晴元と手を組む姿勢を明確にした。
そして、文書が出された翌月には、長慶は義輝を京都から追い落とし、高槻市大字原の芥川城へ入城した。
久秀は書状の中で、書状が出される前日、将軍義輝が長慶と敵対する細川晴元方の武将に酒を下賜し、義輝が晴元と手を組む姿勢を示したという出来事について言及している。
なお、義輝が晴元方の武将に酒を下賜したという事実は当時の公家の日記にも記されており、これまでも知られていることだった。
今回発見された書状では、久秀がそのことに対して「大したことはない」との強い姿勢を見せていることが分かる。
また、久秀は書状の中で、主に三好方の各地の勢力の様子を伝えるとともに、伊勢貞助らに京都の様子を立ち聞きして伝えるよう依頼している。
この書状は、三好方の動向を知ることができるともに、畿内の緊迫した政治状況の一端がうかがえる大変貴重な史料だ。
■常設展示「芥川城と三好一族」の展示内容
常設展示「芥川城と三好一族」の展示内容は、発掘調査で見つかった建物の部材や生活道具、長慶の家臣と伝わる家に伝来した槍、松永久秀の肖像画。松永久秀の肖像画の実物展示は7月15日(月・祝)までで、以降はパネル展示となる。料金は無料となっている。
また、「芥川城と三好一族」の開設にあわせ、6月15日(土)から、今回発見された松永久秀書状の一部がデザインされた、限定デザインの武将印「松永久秀」が販売されている。
価格は1枚300円で、500枚限定。なくなり次第販売終了となる。限定デザインの武将印「松永久秀」は高槻市立しろあと歴史館の窓口でのみ販売しており、郵送販売は不可となっている。
期間限定で松永久秀の書状を公開中の、常設展示「芥川城と三好一族」に訪れてみては。
しろあと歴史館 常設展示 芥川城と三好一族 詳細ページ:https://www.city.takatsuki.osaka.jp/site/history/121335.html
アジサイが開花
また、高槻市内各所では、梅雨入りを前にアジサイが咲き始めていて、寺院の参拝者や散歩する人々を楽しませている。
平安時代の女流歌人伊勢ゆかりの伊勢寺の参道や本堂周辺、国の重要文化財「木造千手観音坐像」を所蔵する安岡寺の参道でも、赤や紫、青など色とりどりのアジサイが花を開きはじめ、来週頃には見ごろを迎えると予想されている。
■伊勢寺について
伊勢寺は、平安時代中期に活躍した女流歌人で三十六歌仙の一人、伊勢が晩年過ごした住居跡に建つと伝えられている曹洞宗の寺院だ。
■安岡寺について
安岡寺は、光仁天皇の子である開成皇子の創建と伝えられている天台宗系の寺院。国の重要文化財に指定されている「木造千 手観音坐像」が安置されている。
伊勢寺や安岡寺でアジサイを楽しもう!
■伊勢寺
住所:大阪府高槻市奥天神町1丁目1-19
アクセス:JR 高槻駅北口から高槻市営バス「日吉台」行き「上天神」下車、歩約5分
■安岡寺
住所:大阪府高槻市浦堂本町41-1
アクセス:JR 高槻駅北口から高槻市営バス「上の口」行き「浦堂」下車、徒歩約15分
(yukari)