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清浄心院

高野山 別格本山 清浄心院と有力大名家等とのつながりを示す貴重な証文を展示する、夏の寺宝展を開催いたします|2022年7月1日(金)~8月31日(水)

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高野山 別格本山 清浄心院(本社:和歌山県伊都郡高野町、代表:池口恵観)は、2022年7月1日~8月31日の期間で夏の寺宝展を開催いたします。
清浄心院・高野山文化歴史研究所にて当院の文化財の調査・研究の中で発見された宝物を順次公開する特別展です。
今回は清浄心院と有力大名家等とのつながりがわかる寺宝を2点、公開いたしております。宿泊の方は無料でご覧いただけます。

展示品について

1、佐竹義重宿坊証文(安土桃山時代末期)

佐竹義重宿坊証文(さたけよししげしゅくぼうしょうもん)
佐竹家が高野山へ登拝した際、清浄心院の宿坊へ泊まることを約束した証文(契約書)。
戦国武将の佐竹義重が清浄心院へ発給した文書です。内容は佐竹義重個人にだけでなく、佐竹家の家臣・領民が高野山参詣をした時は、必ず清浄心院で宿泊するという宿坊関係を取り交わした証文(契約書)となっています。慶長4年(1599)のものでこの当時、佐竹氏は常陸国(現在の茨城県周辺)54万石を領していました。

2,諸侯方其外年頭状木札配進録(江戸時代末期)

諸侯方其外年頭状木札配進録(しょこうがたそのほかねんとうじょうきふだはいしんろく)
江戸時代末期の文久元年(1861)に認められた記録です。新年を迎えるにあたり、清浄心院と宿坊関係にあった大名・旗本・有力町人への「御札」を配った際の控えです。佐竹家をはじめ、松平大和守家(結城秀康(徳川家康の二男)の五男直基からはじまる)・大関家(栃木県)・大田原家(栃木県大田原市)・松前家(北海道松前町)などの大名の名が記されています。有力町人としては、後に東京の白木屋デパートと発展する江戸三大呉服店の一つの大村氏の名が見られます。

夏の寺宝展 概要
【時間】1.11時~ 2.12時30分~ 3.16時~
【拝観料】護摩木1本(1,000円)※宿泊の方は無料
【予約】0736-56-2006
【拝観方法】ご予約のお時間までに清浄心院受付に集合ください。お時間になりましたらスタッフが、客殿・霊牌堂(阿弥陀如来像/運慶作・重要文化財)・大台所・囲炉裏の間(寺宝展会場)を順番にご案内いたします。

解説 木下浩良(清浄心院・高野山文化歴史研究所 所長)

清浄心院について
高野山真言宗別格本山。住職池口恵観。
当天長年間(八二四~三四)に高祖弘法大師により草創される。
徳川時代には院領高三五石、上杉謙信、佐竹義宣などの諸大名が檀家となりました。その縁は深く、上杉謙信の祈願所、佐竹家の菩提所としての 役割を果たしており、奥之院にある上杉謙信霊屋一棟(国指定重要文化財)は当院の管理によるもの。御本尊廿日大師像は、承和二年(八三五)三月二十日、入定を明日に控えた高祖弘法大師により彫刻され、 像の背後に「微雲管」の三字が書かれていると伝わっています。境内には、運慶作の阿弥陀如来立像、中将姫筆の九品曼荼羅、当麻建立之図(以上、重要文化財)などがあり、門内の名木傘桜も見所のひとつです。 この傘桜には、太閤豊臣秀吉が花見を催したという逸話も残されています。
当院は、その名の如く清浄を極め、簡素にして優雅、高野山の伝統的な大釜のある台所など、 総本山金剛峰寺の参考となったと言われる建築様式を今に残しています。

寺院名:高野山別格本山 清浄心院
所在地:和歌山県伊都郡高野町高野山566番地
代表者:池口恵観
設立 :当天長年間(824~834年)
URL :https://shojoshinin.jp

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