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【埼玉県旧北川辺町(現加須市)】旧市町村一周と写真Vol.17/写真家 仁科勝介

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旧北川辺町(現加須市)

日本中では目まぐるしく、日々いろんなイベントがひらかれている。「そんな日本には、どのような土地があるのだろう」と、写真家として活動している私(仁科勝介)は、“平成の大合併”時に残っていた、旧市町村をすべて巡る旅に出た。その数は2000を超える。

今回、地域や自治体、企業の取り組み、新商品などの情報を発信するニュースサイト「ストレートプレス」で、それらを紹介する機会をいただいたので、写真を添えて連載をスタートした。

「ストレートプレス」内に登場するローカルな市町村と、関係があるかもしれない。

今回は、埼玉県旧北川辺町(現加須市)を写真とともに紹介する。

Vol.17/埼玉県旧北川辺町(現加須市)

旧北川辺町は、利根川を渡った北側にある。埼玉県の中で、利根川の左岸にまちが存在するのはここだけだ。さらに旧北川辺町の北側には、栃木県との県境である渡良瀬川が流れている。かつては水害も多く、鉱毒による被害にも悩まされた土地だ。しかし、田中正造を旗手とする住民運動によって守られた土地でもある。

北川辺はコシヒカリの産地だ。

東武日光線も通っている。

渡良瀬川の河川敷。

道の駅かぞわたらせ。

田中正造翁の墓。

かつて、洪水や鉱毒で疲弊する村に対して、国や県は堤防を築いて村を守ることではなく、村そのものを渡良瀬川の水量を調節する遊水地に変えて、廃村にする政策を行おうとしていた。住民への説明はなく、計画は県や国によって水面下で進んでいた。その話を知り、反対運動の旗手となって立ち上がったのが、足尾銅山の鉱毒事件の解決に身を捧げたことで知られる、田中正造であった。

田中正造は村を守るべく村に滞在して人々を激励して回り、1000人以上が集まった合同村民大会で、堤防による治水という訴えが認められなければ、納税と兵役の義務を拒絶するという固い意志の決議を採択した。そして、国に背くこともいとわないこの決意が、最終的な計画断念の結果を導いたのであった。

田中正造翁の墓は、全国に6か所ある。旧北川辺町の墓は屋根に守られ、設置された看板の文面からも村の偉人として、大切に語り継がれていることがわかる。今もなお、この地域には穏やかな住宅地が広がっている。あたりまえに存在しているように見える土地が、人々の意思で守り抜かれたものだと知った。

(仁科勝介)

写真家プロフィール

仁科勝介(Katsusuke Nishina にしなかつすけ)/かつお
写真家として活動。1996年、岡山県倉敷市生まれ。広島大学在学中に、日本の全1741の市町村を巡る。
『ふるさとの手帖』(KADOKAWA)、『環遊日本摩托車日記(翻訳|邱香凝氏)』(日出出版)をはじめ、2022年には『どこで暮らしても』(自費出版)を刊行。
旧市町村一周の旅『ふるさとの手帖』:https://katsuo247.jp
仁科勝介公式Twitter:https://twitter.com/katsuo247
仁科勝介公式Instagram:https://www.instagram.com/katsuo247/

    

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