日本中では目まぐるしく、日々いろんなイベントがひらかれている。「そんな日本には、どのような土地があるのだろう」と、写真家として活動している私(仁科勝介)は、“平成の大合併”時に残っていた、旧市町村をすべて巡る旅に出た。その数は2000を超える。
今回、地域や自治体、企業の取り組み、新商品などの情報を発信するニュースサイト「ストレートプレス」で、それらを紹介する機会をいただいたので、写真を添えて連載をスタートした。
「ストレートプレス」内に登場するローカルな市町村と、関係があるかもしれない。
今回は、神奈川県相模原市を写真とともに紹介する。
Vol.134/神奈川県相模原市
相模原市の合併の変遷を振り返ってみると、元々は「相模原市」「城山町」「相模湖町」「津久井町」「藤野町」の5つの町が存在していた。そして、これらが合併で相模原市となり、現在の相模原市は南区と中央区、緑区の3区に分かれている。
今回は、元々から相模原市だった地域を訪れた。最初に相武台団地の近くを通ると、トンネルのような道があった。「騒音対策かな?」と思ったところ、実際の意図としても、騒音に配慮する形でつくられたそうだ。
さらには勝坂遺跡を訪れる。ごく今どきの住宅街の手前に、竪穴住居があった。同じ住居でありながら全然違う、そのバランス関係が不思議に感じられる。
今度は相模原麻溝公園へ訪れる。芝生も遊具も、あちこちで幸せが溢れていて、展望台からその様子を見ていると、もし神様がいて、天から地上を眺めているならば、今は微笑んでいるだろうな、と思った。
亀ヶ池八幡宮を訪れたあと、相模原市役所まで向かう。実際にまちに立つと、計画的にまちづくりが行われたのかなあと感じられて、地図を見ても同じことを思った。市役所の近くには並木道が続いており、自然も身近に感じられる。
相模原市はたくさんの人たちが暮らしていて都会である、という淡いイメージだったけれど、日常そのものは自然も近く、広々とした風景もあった。どの土地も開発されて今の暮らしがある。その上でわたしたちにとって何を大切にしなければならないのかを、考えさせられたような気もする。
(仁科勝介)
仁科勝介(Katsusuke Nishina にしなかつすけ)/かつお
写真家として活動。1996年、岡山県倉敷市生まれ。広島大学在学中に、日本の全1741の市町村を巡る。
『ふるさとの手帖』(KADOKAWA)、『環遊日本摩托車日記(翻訳|邱香凝氏)』(日出出版)をはじめ、2022年には『どこで暮らしても』(自費出版)を刊行。
旧市町村一周の旅『ふるさとの手帖』:https://katsuo247.jp
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