日本中では目まぐるしく、日々いろんなイベントがひらかれている。「そんな日本には、どのような土地があるのだろう」と、写真家として活動している私(仁科勝介)は、“平成の大合併”時に残っていた、旧市町村をすべて巡る旅に出た。その数は2000を超える。
今回、地域や自治体、企業の取り組み、新商品などの情報を発信するニュースサイト「ストレートプレス」で、それらを紹介する機会をいただいたので、写真を添えて連載をスタートした。
「ストレートプレス」内に登場するローカルな市町村と、関係があるかもしれない。
今回は、岩手県旧玉山村(盛岡市)を写真とともに紹介する。
Vol.360/岩手県旧玉山村(盛岡市)
この日は宮古市から一気に120km走って、盛岡市の旧玉山村にやって来た。同じ岩手県でも、沿岸部から内陸部まで、やはりとても距離がある。そして、盛岡市は今まで何度か来たことがあるけれど、旧玉山村は初めてだ。コンパクトでありながら、洗練された盛岡の気配とはまた違っている。盛岡の中にある落ち着いた静けさを、より一層閉じ込めたような場所だ。
豊かな田んぼや畑が広がり、岩手山も一緒に眺めることができた。ほかにもいろんな畑がある中で、いくつかは何が育てられているのかよくわからなかったけれど、ホップ畑があることだけはすぐにわかった。岩手県遠野市で見たホップ畑と同じだったから。盛岡にもあるのだなあと。
旧玉山村では「常光寺」というお寺へ訪れた。ここは、石川啄木の生誕の地だ。境内には生涯の共であった金田一京助の揮毫で、「石川啄木生誕之地」の碑が立っている。金田一京助はアイヌ語研究の第一人者であり、日本の言語学者だ。この、金田一京助という人物が、ほんとうに石川啄木を支えた人物だということは、のちのち調べていく中で知っていった。
そして何より、玉山という土地が石川啄木のふるさとなのだと思いながら歩くと、あらゆる静寂が、木々のざわめきが、蝉の鳴き声が、正解に思えてくるのだった。
(仁科勝介)
仁科勝介(Katsusuke Nishina にしなかつすけ)/かつお
写真家として活動。1996年、岡山県倉敷市生まれ。広島大学在学中に、日本の全1741の市町村を巡る。
『ふるさとの手帖』(KADOKAWA)、『環遊日本摩托車日記(翻訳|邱香凝氏)』(日出出版)をはじめ、2022年には『どこで暮らしても』(自費出版)を刊行。
旧市町村一周の旅『ふるさとの手帖』:https://katsuo247.jp
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