大正時代に創業したレトロ銭湯が、進化しながら次の時代を紡ぎます。
当社は、4月1日を夢を発信する日にしようとするApril Dreamに賛同しています。このプレスリリースは「第一敷島湯」の夢です。第一敷島湯(所在地:兵庫県尼崎市杭瀬本町、代表:黒木 達也)は、「100年後に続く銭湯や銭湯文化」を夢として掲げ、魅力的な銭湯づくりやイベントの開催を行います。

「第一敷島湯」が描く夢
私たち第一敷島湯は、100年後まで銭湯のある地域コミュニティを持続させることを夢として掲げ、日々さまざまな試みをしています。人々が心身を癒すために訪れる空間、銭湯。その地に住まう方々の憩いの場としても一役買っています。私たちが願うのは、第一敷島湯の存続だけではありません。日本全国で営む銭湯の数々とともに、地域に根ざすコミュニティを守っていきたいと思っています。人々が自然に集い、会話が生まれる場所を100年先まで守る。それが私たちの夢です。
「第一敷島湯」を100年先まで受け継ぐための課題
第一敷島湯は2023年で創業100周年を迎えます。これまでの道が決して平坦ではなかったように、私たちがこれから乗り越えていかなければならない障壁はたくさんあります。【原油価格の高騰・廃材の活用】
銭湯離れや設備の老朽化によって負担が増加する中、2014年の原油価格の高騰は経営状況の悪化に拍車をかけました。そのため、湯沸かしの際に使う燃料は重油から廃材に切り換えました。ただ、廃材はそのまま薪として使うことができません。解体業者からトラックで廃材を受け取り、大きな部材は釜に入る大きさに切断して使用しています。【銭湯の廃業と地域コミュニティの縮小】
杭瀬地区にはかつて6件もの銭湯があり、さながら「銭湯密集地」の様相を呈していました。周辺に工場が多く、出稼ぎの若い単身者や夫婦が多かったためだと聞いています。しかし、経営者の高齢化や建物の老朽化が原因で廃業する銭湯がここ数年で一気に増えました。現在では、杭瀬の銭湯は第一敷島湯を含め3件です。周辺には風呂がついていない物件もまだあるため、そうした物件に住む方々にとって、銭湯は必要不可欠な存在となっています。また、自転車や自動車を使えない高齢の方は、銭湯が近くになければ通わなくなってしまうことが危惧されます。銭湯に通わなくなることはひとつの地域コミュニティから外れることを意味し、心身の健康にもかかわる問題を引き起こす恐れがあります。【浴室の配管故障】
2023年1月から薬湯として使っていた浴室の配管が故障してしまい、その浴槽は休止することになりました。修理には日数や費用がかかることが想定されています。

夢への第一歩として「クラウドファンディング」を開催中。
「漢方風呂を復活させて、漢方湯の文化を受け継ぐ」
2023年3月24日からCAMPFIREにてプロジェクトスタート。第一敷島湯の存続危機を救い、漢方湯を皆様に提供するために、皆様のご協力をお待ちしております。クラウドファンディング実施期間:2023年3月24日(金)~2023年4月26日(水)プロジェクトページ(CAMPFIRE):https://camp-fire.jp/projects/view/658697

私たちには、溢れるほどの夢があります。
100年先、というと少し遠く感じてしまうかもしれません。もう少し近くに目を向けてみても、できることやしたいことはたくさんあります。私たちの小さな積み重ねが、いつか時代を超えると信じて。【第一敷島湯の夢】
・番台をフロント式にしたい・小さな喫茶店やたこ焼き屋さんを開きたい・夏はアイスを、冬はコタツを置いてホッコリできる場所を提供したい・格天井を素敵な絵で飾りたい。・二号線沿いで五右衛門風呂形式の足湯をしたい。・第一敷島湯の前の空き家をリフォームして、人が集まれる場所や宿泊施設を作りたい。・落語寄席やお笑いライブ、音楽ライブが出来るステージを作りたい。・第一敷島湯専用の駐車場がほしい。・温泉を掘ってより良いお湯を提供したい。・脱衣所で物産展を開きたい。・裏の釜場をリニューアルして、銭湯経営をしたい方の練習場所にしたい。

ギターの音色に合わせて歌うイベントを開催した際の様子
第一敷島湯について
兵庫県尼崎市の杭瀬地区で銭湯を営んで100周年の第一敷島湯。建物の外観は補修しながらほぼ100年前と変わらぬ姿を保っており、浴室や脱衣所も昭和の面影を感じさせるレトロな内装です。1995年に阪神・淡路大震災が発生した際には建物にヒビが入ったものの、営業には問題なく、西宮や神戸で被災された方の受け皿となりました。皆様の心身を癒す、地域の貴重な憩いの場です。「April Dream」は、4月1日に企業がやがて叶えたい夢を発信する、PR TIMESによるプロジェクトです。私たちはこの夢の実現を本気で目指しています。