Villa Repro(ヴィラリプロ)がプロデュースする古民家を再生させた別荘民泊「天野邸(あまのてい)」が、山梨県都留市境に11月1日(火)にオープンした。
明治維新時の地元の名主・天野開三の本家
同建物は、明治維新時に地元の名主として活躍した天野開三(あまのかいぞう)の本家で、天野開三の子孫である、天野保宏さん夫妻が所有する建物。現在は東京在住で、空き家になっていた本家を活用できないか?と相談があったという。
そこで、これまで別荘民泊を14軒手掛け、山梨県都留市でも既に3軒の別荘民泊を手掛けていたVilla Repro代表の羽田氏が別荘民泊としてプロデュースし、明治維新の当時を体感できる宿にした。
お台場開発に携わった天野開三
天野開三は文化11年(1814年)生まれ。御殿場を経て伊豆方面へ手を広げ、年と共に勢力を伸ばし、嘉永6年(1853年)8月に、品川等の台場(砲台)の建設に携わり工事を完成させた。この事業に対して金3千両(約2億円)を献金し愛国の気持ちを示したという。
また私財を投じて社会救済事業に専念。安政元年(1854年)の大地震により、伊豆下田は大津波にみまわれたが、この救済のために物資を提供した。その他、国防費を上納し、災害時に献納するなど、慈善活動にも精を出したという。その後、明治18年には桂村村長に就任し、明治33年87歳で天寿を全うした。
平成21年(2009年)には、ミュージアム都留で「天野開三展」が開催されるなど地元で親しまれている。
慶応3年幕府方による襲撃事件
当時、郡内で星野屋に次ぐ第二の富裕家となっていた天野家は大資産家であったことから、慶応3年(1867年)に幕府方の栗原十蔵の一味に家が襲われるという災難に会っている。
徳川方の一隊が江戸を脱走し、駿河を目指して逃走する途中、天野邸を襲い、旅費を強要する事件で、今も天野邸の家具には、その時鉄砲で付けられた跡が、そのまま残されている。
別荘民泊プロデューサーの羽田氏は「歴史的な建造物で、しかも民泊として貸し出す1階だけでも198㎡もある大邸宅です。非日常体験、明治時代にタイムスリップしたような体験ができる貴重な宿です。しかも、建物は放置していると傷みが激しくなります。民泊として活用することで歴史的な建物を保全していくことも大切な使命です」と話す。
また、都留市の温泉である「芭蕉月待ちの湯」に隣接された場所に建つ「和みの里種徳館(なごみのさとしゅとくかん)」は、明治20年代に天野開三によって、天野邸の敷地内に建てられたものを移築。
種徳とは「広く徳を世に施すこと」。青少年の終身鍛錬のために建てられ、太平洋戦争末期には学童疎開児童の臨時教育の場としても使われており、現在も様々な体験施設として利用されている。
幕末から明治に掛けての歴史も感じることができる天野邸に泊まってみては。
■天野邸
住所:山梨県都留市境203
ホームページ:https://loghouse.life
宿泊予約:https://airbnb.com/h/amano-tei
■和みの里種徳館
住所:山梨県都留市戸沢1126
(よしだゆうこ)