日本中では目まぐるしく、日々いろんなイベントがひらかれている。「そんな日本には、どのような土地があるのだろう」と、写真家として活動している私(仁科勝介)は、“平成の大合併”時に残っていた、旧市町村をすべて巡る旅に出た。その数は2000を超える。
今回、地域や自治体、企業の取り組み、新商品などの情報を発信するニュースサイト「ストレートプレス」で、それらを紹介する機会をいただいたので、写真を添えて連載をスタートした。
「ストレートプレス」内に登場するローカルな市町村と、関係があるかもしれない。
今回は、埼玉県旧児玉町(現本庄市)を写真とともに紹介する。
Vol.46/埼玉県旧児玉町(現本庄市)
国道254号線を進み、本庄市の看板が現れたとき、同時に「塙保己一生誕の地」と書かれた看板があることに気づいた。本庄市では2006年に児玉町と本庄市が合併し、現在の本庄市の姿になっているが、その(旧)児玉町で、塙保己一は生まれた。江戸時代後期に活躍した盲目の国学者だ。
塙保己一が残した叢書として、「群書類従」が知られている。当時は古書が整理されておらず、広く人々が勉強できずにいた。34歳のときに刊行を決意し、40年余りの歳月をかけて完成させたのだった。
塙保己一は、失明しながらも努力を続け、40年の歳月をかけてひとつの目標を達成した。渋沢栄一やヘレン・ケラーが敬愛していたことも知った。
さらに、競進社模範養蚕室(きょうしんしゃもはんようさんしつ)は、1894年にできた建物だ。競進社社長の木村九蔵が養蚕改良を経て新しい飼育法を考案し、この建物が拠点となった。新しい技術は全国に広まり、産業の発展に大きく貢献している。
養蚕室の受付のおじさんと話をしていて、「(旧)児玉町に愛着はありますか?」と聞いたら、「やっぱり、ありますね。児玉郡、ですから」と仰った。旧児玉町には、素晴らしい偉人がいる。“児玉”の地名が、これからも残っていくことを願ってやまない。
次回は、埼玉県本庄市を写真とともに紹介予定。
(仁科勝介)
仁科勝介(Katsusuke Nishina にしなかつすけ)/かつお
写真家として活動。1996年、岡山県倉敷市生まれ。広島大学在学中に、日本の全1741の市町村を巡る。
『ふるさとの手帖』(KADOKAWA)、『環遊日本摩托車日記(翻訳|邱香凝氏)』(日出出版)をはじめ、2022年には『どこで暮らしても』(自費出版)を刊行。
旧市町村一周の旅『ふるさとの手帖』:https://katsuo247.jp
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