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【茨城県旧新利根町(稲敷市)】土地の変遷を感じながら、運動公園や逢善寺へ

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茨城県旧新利根町(稲敷市)

日本中では目まぐるしく、日々いろんなイベントがひらかれている。「そんな日本には、どのような土地があるのだろう」と、写真家として活動している私(仁科勝介)は、“平成の大合併”時に残っていた、旧市町村をすべて巡る旅に出た。その数は2000を超える。

今回、地域や自治体、企業の取り組み、新商品などの情報を発信するニュースサイト「ストレートプレス」で、それらを紹介する機会をいただいたので、写真を添えて連載をスタートした。

「ストレートプレス」内に登場するローカルな市町村と、関係があるかもしれない。

今回は、茨城県旧新利根町(稲敷市)を写真とともに紹介する。

Vol.198/茨城県旧新利根町(稲敷市)

旧藤代町から、稲敷市の旧新利根町へ向かった。稲敷市は4つの町村が合併したまちである。かつても稲作地帯が多く広がっていたが、洪水にも悩まされる土地であった。そして、江戸時代前期の1600年代に、利根川と霞ヶ浦間を掘削して出来上がったのが、「新利根川」だ。ただ、完成以後も戦後まで洪水被害が続いていたが、昭和40年(1965)には、いよいよ治水事業が完成したのだった。
だから、思うのだ。治水事業が完成された40年後、2005年に市町村合併で新利根町がなくなってしまったことは、時代の流れではあるかもしれないが、江戸時代の人々が名づけたであろう「新」の文字が、21世紀には「旧」に変わってしまうのだなあと。ややこしく言えば、「旧新利根町」なわけである。

新利根総合運動公園へ

スコアボード

飛行機だ

天台宗、慈雲山逢善寺へ向かう

町並み

建物は静かに堂々と

法華一乗の大乗仏教を説いた最澄は、805年に天台宗をひらいたと言われている。そして、逢善道人がこの地に逢善(ほうぜん)寺を創建したのは828年。逢善は最澄の弟子とのことだが、インターネットでは詳しい文献を読めなかったので、どこまで正しいかはわからない。ただ、お寺に関していえば、二度の火災に遭ったのちに再建された1842年から現在まで、約180年の歴史を感じることができる。

(仁科勝介)

写真家プロフィール

仁科勝介(Katsusuke Nishina にしなかつすけ)/かつお
写真家として活動。1996年、岡山県倉敷市生まれ。広島大学在学中に、日本の全1741の市町村を巡る。
『ふるさとの手帖』(KADOKAWA)、『環遊日本摩托車日記(翻訳|邱香凝氏)』(日出出版)をはじめ、2022年には『どこで暮らしても』(自費出版)を刊行。
旧市町村一周の旅『ふるさとの手帖』:https://katsuo247.jp
仁科勝介公式Twitter:https://twitter.com/katsuo247
仁科勝介公式Instagram:https://www.instagram.com/katsuo247

   

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